ユーリのこと


1994年9月22日付日本経済新聞に掲載されたダーバンの一面広告。
意外とこんなもの取ってあったりするのよね。


先日、ユーリ・アルバチャコフ*1 ×ムアンチャイ・キティカセムの、あやしくも美しい一戦を、録画で見返す機会がありました。
忘れもしない1993年3月20日、何気なくテレビをつけた瞬間に釘付けになり、なぜだかリモコンを握りしめて立ったまま、最後まで見てしまった試合です。


その前年、ムアンチャイからWBC世界フライ級のベルトを奪ったユーリに、返り咲きをかけてムアンチャイが挑戦。
タイでの試合でした。
屋外リングでした。
試合が始まったときはまだ、タイの空は明るい青空でした。


名前でわかるように、ムアンチャイはタイ人です。
日本人にすらなじみの薄いロシア少数民族出身のチャンピオンが、前チャンピオンの地元で闘うわけです。屋外で。
ユーリの所属するジムのイメージもあってか、「興業」「見世物」「ひょっとして賭け事?」みたいなにおいがプンプンする、独特の雰囲気でした。


「ユーリサイドは現地での食事に用心して(要するに一服盛られないように)、日本からすべての食材と水を持ち込んでいる」とレポートがあったり、ムアンチャイが攻め込まれて危うくなったとたん、まだ残り30秒もあるのにゴングが鳴ったり、いろいろありましたね。


そんな周辺事情とは裏腹に、リング上の2人の美しかったこと。
ボクシングをどう語ればいいやらわかりませんが、とにかく美しかった。
ほとんどクリンチのない、きれいなアウトボクシングでしたし。


1ラウンドからユーリは、静かに、薄皮1枚ずつ切るようにジャブを入れ、一方ではギリギリのところで相手のパンチをよけて焦らせ、徐々に自陣に踏み込ませ、クロスカウンターで仕留めた(と、私には見えました)。
まるで、一流の職人の技と仕事ぶりを見るようでした。


周囲がドブドロに見えたから、懸命に闘うムアンチャイと、ユーリの冷たく澄んだ美しさが際だった、ってこともあるんでしょうか。
ラウンドが進むほどに暮れていくタイの空と相まって、忘れられない試合です。


ユーリ、今はどうしているでしょう。
日本ではいい思いばかりではなかったようなので、せめて日本を嫌いになってないといいなと思います。

*1:当時のリングネームはユーリ海老原

要約できない、してはいけない──『菜の花の海辺から』・終章

5月10日21日の日記に書いた 『菜の花の海辺から』(上・下)ですが、下巻の最後にある「終章」について少し。


「終章・そしてなにが残ったか──原告患者の語る四日市の戦後史──」には、四日市ぜんそく裁判の原告の一人、野田之一氏の語った言葉が、おそらくほとんど修正なしの形で掲載されています。
分量としては20ページほどですが、この部分を切り離して一冊としてもいいんじゃないかと思うほど、濃く、深い内容です。


私には懐かしい伊勢弁で語られる野田氏の言葉は、正直、要約不可能です。無理に要約しても、部分を取り出しても、意味がない。
文字とて肉声に比べれば、ありのままではないのですが。


本書の著者・平野孝氏は、全編にわたって、人々が語った言葉にあまり修正を加えず、生に近い形で提示しています。
本としてややまとまりに欠けるその形をとった意図(というより「思い」)が、最後にきて野田氏の言葉を読んで、腑に落ちました。


世の中には、要約してはいけないもの、ダイジェストでは決してわからないものがあります。


要約される人生、値踏みされる命に、私は慣れすぎている。雑に生きている。
「終章」を読んで、そう思いました。




『青空どろぼう』劇場予告編

『美しすぎて(LIVE)』/ガロ


コアなファンに言わせると、ガロといえば Martin D-45 と高度なギターテクニック、らしいです。
専門的なことはわかりませんが、彼らのギターは私も大好き。華やかでリッチで、キレがよくて。


上のYouTube『美しすぎて(LIVE)』(「GARO LIVE」所収)で D-45 が使われてたかどうかはともかく、ゆったりとしたアコースティックギターの音色が心地よく、幸せな気分になれる1曲です。


YouTube静止画像では2人しか写ってないので写真を1枚。
左から大野 "VOCAL" 真澄、堀内 "MARK" 護、日高 "TOMMY" 富明の各氏です。
70年代にこのビジュアル。


ガロにはいろいろな事情でいろいろな曲がありますが、彼らは、3人3様の魅力的な声を持ち、それぞれがリードを取れる歌唱力でした。
そして何よりもコーラスが美しい。これほど調和する三声って、ほかにはないんじゃないかと思うほど。


もう一つ、彼らの歌は発音がきれいなところも好きです。3人とも、とても端正な発音だと思います。


【参考】moraのページでは「GARO BOX」の全91曲から試聴&購入可能。

社会的正義、行政の恥──『菜の花の海辺から』(下)

5月10日の日記で書いた『菜の花の海辺から〈上巻〉評伝・田中覚』に続き、四日市において公害がどのように規制されていったか、吉田克己教授らと行政の現場の悪戦苦闘を描いた下巻から引用。

彼[=当時の三重大学医学部教授・吉田克己氏]をつき動かしたものは、社会的正義に対する学者としての良心、責任感、知に対する意欲、そして、若さである。

田中覚[=当時の三重県知事]は、昭和四七年七月二六日、四日市公害判決の二日後のノートに次のように記している。
「本来この問題は、政治行政の場で処理すべき筋合いのものであり、裁判に持ち込まれたことは、率直にいって行政の恥であってこれを機会にできる限り行政の場において改善いたしたい」

特に政治や行政の担い手たちは、自らの力ではなくて、無力さを肝に銘じておくべきかもしれない。


それぞれ、現代の「有識者(学者)」「政治家」「官僚」の方々に、ぜひ読んでいただきたい。


上巻の主題・四日市ぜんそく裁判はコンビナートによる大気汚染を争ったものでしたが、当時の四日市の公害は大気だけでなく、水の汚染問題もありました。下巻ではその問題も取り上げられています。


中でもひどかったのが石原産業による伊勢湾への廃酸投棄問題。「コンクリートが溶けるほどの」強酸を垂れ流し、周辺は死の海になっていました。
その緊急対策として考え出されたのが、「黒潮以南への投棄」でした。
今から見ると嘘みたいですが、当時はそれを取り締まる法律がなかった上に、伊勢湾の汚染を食い止めるにはそれしかないほど、切羽詰まった状況だったのです。


ところが「黒潮以南への投棄」は長続きせず、2〜3回で終了。費用と手間がかかりすぎるという問題もありましたが、何よりも、他地方の漁民からの批判に、地元漁民が耐えられなかったことが大きかったそうです。

自分の漁場を守れなかった漁民は、ほかの漁場を荒らすべきでない。厳しいが、当然といえば当然すぎるほどの漁師仲間の仁義である。


これと相似形の問題は、地方と地方、国と国の間でも起きているように思います。
書き換えればこうです。

自分の国を守れなかった国民は、ほかの国を荒らすべきではない。厳しいが、当然といえば当然すぎるほどの地球人同士の仁義である。


ただし、仁義の問題だけではないと思います。
線を引こうが壁を立てようが境目などない「環境」を考えるとき、今いる場所を食いつぶして次へ移るだけのやり方は非合理的です。
伊勢湾がだめなら外海、自県がだめなら他県、日本がだめなら外国、地球がだめなら他の星、なんて、どう考えても先がないですもんね。いわゆる「持続可能」ということでしょうか。


本書をきっかけに知り、そういえばこれどうしよう、と思ったことが一つ。


それは酸化チタン。石原産業はそのシェア国内1位。
上記の「廃酸」は酸化チタン製造工程で出る副産物だそうです(当時は廃液のほか酸化チタンの粉塵も問題になっていました)。
また、ここでは詳しく書きませんが、現在進行形で問題となっている「フェロシルト*1」も、上記の「廃酸」を中和してできるものなんですと。
廃酸をそのまま海に流すことはなくなったものの、どうにも処分しにくいものをつくり、よその県にまで広げてしまったわけです。


酸化チタンは日焼け止めやファンデなど、化粧品の材料にもなるものです。
私もミネラルファンデなど自家配合するために原料の「酸化チタン」を買ってましたが、あまり使いたくなくなりました。
酸化チタンについては、ほかにナノ粒子の問題もあり、いろいろ、いろいろ、考え中です。

食うための経済と生きるための環境──『菜の花の海辺から』(上)

菜の花の海辺から〈上巻〉評伝・田中覚』より引用。*1

高度成長と公害を渦中で体験してきた企業人の言葉である。それは、学者や研究者ではなく、企業人の体得した思想として大きな意味がある。私は、食うための経済と生きるための環境、その関係を決定し調整するために政治と行政は何をしてはならないか、どのような役割を果たすべきか、という大きなテーマを歴史の視点から見据える時期が来ていると思う。


三重県津地方裁判所四日市ぜんそく訴訟(以下「四日市訴訟」)で原告側勝訴の判決を下したのは、1972年7月24日。今年で40年目です。


本書は、主に四日市訴訟とその周辺を「裁かれた側」から描いた本です。その立ち位置は、サブタイトルに端的に表れているようです。
「田中覚」さんは、当時の三重県知事です。コンビナート誘致から関わった政治家として、当然、重要な位置を占めます。


ただし内容は知事の話ばかりではなく、「裁かれた側の群像」というべきものです。*2
四日市訴訟判決においては、コンビナートを形成する企業「群」と「行政」の責任が問われたことが、当時としては画期的なものでした。そんな判決の形が、本の内容にも反映されているのでしょう。


上に引用した「高度成長と公害を渦中で体験してきた企業人」とは、まさに普通の人々*3でした。
家族や友人を持ち、普通に生活していた人々です。テレビやクルマが欲しいとか、おいしいものを食べたいとか、普通の望みを持って日々暮らしていたはずです。
日本、郷土、会社、家族のためと信じて、普通の人々が、当時の法律を守りながら国策に従い、進めてきた仕事が、ある日「罪」として裁かれた。それが四日市訴訟でした。


言い方を変えると、普通の人々が普通に生きていても加害者になってしまうこともある、現代の経済活動の陥穽を、はっきり目に見える形で示した、とも言えるでしょう。


原子力発電所の事故が今も進行中の国に住む人間として、これを「もう済んだこと」「過去の話」とは思えません。
今は、政治と行政だけでなく普通の人々も「何をしてはならないか」を「生きるための環境」に即して考えないと、経済活動によって「食べていくこと」もできなくなる、瀬戸際の時代ですから。


【参考】映画『青空どろぼう』公式サイト。2010年東海テレビ制作・著作・配給。








本書に登場する「四日市」「塩浜」「磯津」「午起」などの地名や企業名、人名などは、私と私の身内の人生のさまざまな事柄に分かちがたく結びついています。三重県出身だからというわけではなく、私や一族の誰かがぜんそく患者なわけでもありませんが。
おばさんの事情なんてほんとどうでもいいわねえ、と思いながらも、そんなこんなで感情は大きく揺れるわけです。悲しかったり、茫洋としたり。
これもまた、普通の人が普通に生きていれば、普通にあることですけれど。

*1:p.152。太文字にしたのは私です。

*2:何人もの個人の話をなるべくそのまま伝えよう、雰囲気を伝えようとしたのか、一冊の本全体としてはまとまりに欠けるところがあります。

*3:著者が「常民」と呼ぶのは「普通の人々」という意味だと思います。

東京電力・奈川渡ダム周辺(長野県)

東京から車で飛騨高山市へ向かう際、中央道を松本ICで降りて梓川*1 沿いに国道158号線を走ると、東京電力の「梓川3ダム」*2に出会います。
奈川渡ダム周辺の地図(PCならスクロールOK)


だんさん実家が高山市なもので、たまに通るのですが、先週、少し写真など撮ってきました。
スマホで撮ったしょぼい写真と、奈川渡ダム周辺のことなどを少し。


松本に近い方から、まず稲刻[いねこき]ダム。


次に水殿[みどの]ダム。


3ダムのうち最も上流にあり、最も大きいのが奈川渡[ながわど]ダム。国道158号線はこのダムの堤の上を通り、梓川を渡ります。


高さは155m。ダム下流を覗き込むと、目のくらむような高さ。下の方にちらっと見えるのが安曇発電所です。


今回、大地震で崩れた土砂がダム湖に流れ込み、水がダムを越えないか、東京電力がシミュレーションすることになりました。4月10日付信濃毎日新聞が伝えています。信濃毎日新聞記事
東京電力がこういうシミュレーションをするのは「初めて」だそうです。


水がダムを越えると、堤体や岸が壊れ、下流に大災害を引き起こす可能性があります。
2008年の岩手・宮城内陸地震では、荒砥沢ダム上流の山が崩壊し、越流寸前でした。今回の調査もこれをうけてのことのようです。
川の日記「岩手・宮城内陸地震と荒砥沢ダム」(2011年4月6日)




■地すべり、土砂崩れ、断層帯のこと
地図を見ると、奈川渡ダムは梓川の南側から奈川*3 が合流する地点にあることがわかります(下の地図はスクロールしません)。



東京電力がシミュレーションするのは、ダム湖右岸の、大規模な地すべり地形のある山が崩れた場合です。上の地図中心の十字形の、右上あたり。


奈川の地すべり地形は、防災科学技術研究所「地すべり地形分布図データベース」で位置を確認することができます。奈川渡ダム周辺の地すべりマップ
地すべり地形がどんなものかは、同研究所の「地すべりとは?地すべり地形とは?」のページがわかりやすいと思います。


また、奈川渡ダム近辺には「境峠・神谷断層帯」(地震調査研究推進本部)があり、それに沿って破砕帯があります。*4


下は奈川渡ダムを通過して上高地入口(釜トンネルの手前)へ向かう途中、梓川右岸の写真です。
手前のガードレールの向こうに梓川があり、さらにその向こう岸がこういう状態です。前見たときよりひどくなってるみたいな。気のせいかしら。


一番大きな岩で、見たとこ小型トラックぐらい? 恐がりなので、いつもお祈りしながら通ります(助手席でスカピースカピー寝てる場合を除く)。
このあたりは、アカンダナ山、焼岳*5といった活火山地帯です。安房トンネル工事中、死者4名を出す水蒸気爆発が起きたのも、このあたりです。


昨年は豪雨で左岸(道路のすぐ脇)の「ワラビ沢」が崩れ、しばらく国道が不通になりました。ワラビ沢は、上記写真の向かいあたりです。
先週通ったときも、ゴールデンウイークを前にあちこち復旧工事中でした。*6





■鉱山跡のこと
山深いところは、鉱山、鉱山跡も多いみたいです。


奈川渡ダムから南側の奈川を遡ると、右岸に「ミヤ沢」という支流があります。
ミヤ沢にはかつて奈川鉱山がありました。


2008年には、鉱山由来と思われるヒ素松本市奈川地区の簡易水道に混入して、給水停止になったことがあります。

奈川東側地域には砒鉄鉱を含むペグマタイト、石英脈が分布する、という地質特性に加えて、ヒ素の、鉱物から水への溶解を一層促進させた原因として、断層破砕帯の存在が考えられる。奈川東側地区、古宿付近には大活断層である境峠断層(仁科、1982)が南北に走っている。境峠断層にそって、破砕帯が幅広く(断層の前後1km程度)発達している(中島・大塚、2008)。破砕帯では岩石の破壊が著しいため、岩石中の砒鉄鉱が変質し、鉱物からヒ素が溶脱しやすくなっているものと推測される。
「松本市奈川簡易水道における、ヒ素濃度水質基準値超過の原因」信州大学理学部地質科学教室・森清寿郎氏(2008年/PDF)より引用。


■新しい送電線?
確か水殿ダムを過ぎたあたり、正面の山の頂に、新しい送電線が通ったような気がします。
山頂の森にくっきりと切れ目がついて、鉄塔が建ってて、おや?と思いました。切り出した木材を積んだトラックともすれ違いました(写真は撮れませんでした)。


原発が使えないとなれば、電力会社間で電力を融通し合ってやりくりするために、送電線網を増強するはずです。確か去年、そんなニュースも聞きました。
そのために新しい送電線を引いてるのかしらーなんて思ったのですが。確証はありません。

*1:信濃川の支流・犀川の、奈良井川との合流点から上流を梓川といいます。上高地河童橋の下を流れている川です。

*2:稲刻、水殿、奈川渡の各ダム。

*3:この川を遡ると野麦峠

*4:断層破砕帯についてはWikipedia断層破砕帯」など参照。また、行動の良否はさておき「 国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム」は、このあたりの崩れやすさの参考に。

*5:焼岳の大噴火により梓川がせき止められ、大正池ができたのは有名な話。

*6:上高地などの観光地へのアクセス道ですから、シーズン中は観光客で大混雑します。

鉱滓ダム

先日、こんな事故がありました。

■未処理廃水が目屋ダムに流出

(2012年4月16日付東奥日報
 県は15日、西目屋村砂子瀬にある旧尾太(おっぷ)鉱山の廃水処理施設で、マンガン亜鉛などの重金属を含んだ未処理の廃水が流出し、目屋ダムのダム湖に流れ込んでいると発表した。廃水をためるピット(貯水槽)に砂が流れ込み、水があふれ出したのが原因。県商工政策課は「現時点では農業用水や生活用水への影響があるかどうか分からない」としている。


記事中の目屋ダムは、現在建設中の津軽ダムが完成すれば、その湖底に沈んでしまいます。
【参考】津軽ダム工事事務所HPダムに二度沈むマタギの村(東北学・東北地域学/中路正恒氏)川の日記(2010年11月25日)


同じく記事中の「旧尾太鉱山の廃水処理施設」を地図で見ます(この地図は画像ゆえ拡大縮小、移動はできません。→GoogleMapで見る)。
中央やや下に見える緑色部分が、旧尾太鉱山の鉱滓ダムと思われます。
地図に名前はありませんが「木戸ヶ沢」という沢に設けられているようです。
「旧尾太鉱山の廃水処理施設」が具体的にどんなものかは知りませんが、役割からいって、この鉱滓ダム付近にあると思われます。


鉱滓ダム(鉱滓の堆積場)は、地図上に何の表記もないのが普通です。ほとんど民間企業の所有でもあり、保安面からもイメージ面からも、表に出したくない施設だから?でしょうか。
鉱滓ダムは河川法でいう「ダム」には含まれませんが、谷筋を利用して造られ、地図上ではまさしくダムの形(アースダムっぽい)をしているものが多いです。


津軽ダム工事事務所HPに「木戸ヶ沢排水トンネル」というページがあります。
同ページによれば、津軽ダムができると、現在の目屋ダムより水位が上がり、鉱滓ダムの堤体(上の地図、中央の+印のあるあたり)が水に浸かるそうです。
そして、堤体が水に浸かって壊れたり、有害物質が流出したりしないように、現在よりさらに大きなコンクリート製の堤体(=木戸ヶ沢貯水池保全施設)を造るのだそうです。


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「鉱滓(こうさい or こうし)」は鉱石から金属を取り出した後に残るかすのようなもので、成分は鉱石によって異なりますが、時に有毒な物質が含まれます。


世に鉱山とそれに付属する鉱滓の堆積場はたくさんあるようですが、その位置や現状はなかなかわかりません(Wikipediaに「日本の鉱山の一覧」があります)。
事故があると、そこにそんなものがあったのだとわかったりします。


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2010年10月、ハンガリーでアルミニウム精錬工場の廃液貯水池の堤防決壊事故が起きました。大量の有毒廃液がのどかな村を飲み込み、人や家畜などの生命を奪い、ドナウ川にまで流れていきました。
貯水池の形などは違いますが、金属精錬に伴う鉱滓(sludge)を溜めるという意味では、上記鉱滓ダムと同じものかと思います。
【参考】川の日記(2010年10月6日/動画あり)


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2011年3月11日、日本では、東日本大震災で「大谷鉱山跡地堆積場」(宮城県気仙沼市)が液状化したところへ津波が押し寄せ、引き波とともに、ヒ素を含む鉱滓が港にまで流れました。
震災後、市内の井戸水などからヒ素が検出されましたが、気仙沼市ではこれを流出した鉱滓とは無関係としています。
堆積場管理会社の親会社・JX日鉱日石金属も「鉱山保安法に基づく排水基準(0.1mg/L)を上回りましたが、人の健康に影響を与えるほどのものではありません」としています。
【参考】「大谷鉱山跡地堆積場からの鉱滓の流出について」(JX日鉱日石金属


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鉱滓ダムが事故を起こしたわけではありませんが、旧神岡鉱山岐阜県飛騨市)にも大きな堆積場があります。
鉱石に含まれるカドミウムにより、神通川流域にイタイイタイ病(1968年日本初の公害病認定)などの多大な被害を及ぼした鉱山です。


カドミウムで汚染された農地の復元事業が完了したのは、開始から33年後、今年の3月末です。

【記者コラム:越中春秋】終わりではない

(2012年3月27日付中日新聞
 イタイイタイ病の原因となったカドミウムに汚染された農地の復元事業が今月末で完了し、十七日に開かれた完工式では、農地が戻った喜びと公害を繰り返さないことを誓う思いで包まれた。しかし、事前に取材した農家の男性によると、復元した農地は土に栄養がなく肥料代が約二倍に。「食用米が再び作れる喜びはあるが、復元後もまだまだ困難が続く」と複雑な心境を語ってくれた。
 土壌汚染は、復元が完了しても「めでたしめでたし」で終わるような単純な問題ではない。それでも「次に農業をする人のために、わずかでも手をかけて土の力を戻したい」と前向きな男性の言葉に力強さを感じた。(山田晃史)


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冒頭に書いた、旧尾太鉱山廃水が目屋ダムへ流出した事故の、新聞報道(Web)をメモ。
インターネット上では、地元の東奥日報陸奥新報のほか、毎日、読売、産経に記事がありましたが、朝日、日経、時事などの記事はまだ見かけません。

■廃水流出:目屋ダムに 旧尾太鉱山の処理ポンプ停止「水質に影響ない」 /青森

(2012年4月17日付毎日新聞地方版)
 15日午後4時45分ごろ、西目屋村砂子瀬の旧尾太(おっぷ)鉱山の廃水を処理している木戸ケ沢処理施設のポンプ3台がすべて停止し、未処理の廃水が下流の目屋ダム(同村)へ流出した。流出量は毎時48トンで、停止は17日以降になる見込み。廃水にはマンガン亜鉛など微量の金属を含むが、排水基準を満たしており、水質や環境への影響はないという。
 県商工政策課によると、廃水はピットにためて土砂を沈殿させ、ポンプでくみ上げて処理する。ピット内に土砂が大量にたまり、土砂が入り込んだポンプ1台が停止。予備の1台も故障したため、県は残る1台も停止してピット内の土砂の撤去を始めた。同課は「土砂は定期的に取り除いているが、今年は雪解け水が多く、流れ込む量が多かったのでは」と話している。
 同課の16日未明の水質検査で、廃水1リットル中のマンガン3・61ミリグラム(排水基準=10ミリグラム以下)▽亜鉛0・82ミリグラム(同5ミリグラム以下)▽鉛0・01ミリグラム未満(同0・1ミリグラム以下)で、いずれも排水基準を満たしていた。

■旧尾太鉱山廃水流出:基準超す鉛 目屋ダムへの流出量、毎時18トンまで減少 /青森

(2012年4月18日付毎日新聞地方版)
 西目屋村砂子瀬の旧尾太(おっぷ)鉱山から未処理の廃水が目屋ダムに流出している問題で、県が行った16日午後の調査で、廃水に含まれる鉛が排水基準を超えた。
 県商工政策課は「目屋ダムで希釈されるので、ただちに環境に影響は出ないのではないか」としている。
 県によると、16日午後5時半にピット付近の廃水を検査したところ、廃水1リットルあたりの鉛が0・3ミリグラム検出され、排水基準(同0・1ミリグラム)を超えた。マンガン7・37ミリグラム(同10ミリグラム)、亜鉛1・44ミリグラム(同5ミリグラム)は基準以下だった。
 県は停止したポンプ3台のうち1台を16日午後に起動して廃水処理を再開したため、流出量は毎時18トンに減少したが、流出は続いている。【酒造唯】

■旧尾太鉱山の未処理廃水再び流出

(2012年4月19日付東奥日報
 西目屋村にある旧尾太(おっぷ)鉱山の廃水処理施設からマンガンなどの重金属を含む未処理廃水が流出した問題で、県は19日午前、施設からの流出が再び始まり、目屋ダムに流れ込んでいる−と発表した。流出量は1時間当たり36立方メートル。