食うための経済と生きるための環境──『菜の花の海辺から』(上)

菜の花の海辺から〈上巻〉評伝・田中覚』より引用。*1

高度成長と公害を渦中で体験してきた企業人の言葉である。それは、学者や研究者ではなく、企業人の体得した思想として大きな意味がある。私は、食うための経済と生きるための環境、その関係を決定し調整するために政治と行政は何をしてはならないか、どのような役割を果たすべきか、という大きなテーマを歴史の視点から見据える時期が来ていると思う。


三重県津地方裁判所四日市ぜんそく訴訟(以下「四日市訴訟」)で原告側勝訴の判決を下したのは、1972年7月24日。今年で40年目です。


本書は、主に四日市訴訟とその周辺を「裁かれた側」から描いた本です。その立ち位置は、サブタイトルに端的に表れているようです。
「田中覚」さんは、当時の三重県知事です。コンビナート誘致から関わった政治家として、当然、重要な位置を占めます。


ただし内容は知事の話ばかりではなく、「裁かれた側の群像」というべきものです。*2
四日市訴訟判決においては、コンビナートを形成する企業「群」と「行政」の責任が問われたことが、当時としては画期的なものでした。そんな判決の形が、本の内容にも反映されているのでしょう。


上に引用した「高度成長と公害を渦中で体験してきた企業人」とは、まさに普通の人々*3でした。
家族や友人を持ち、普通に生活していた人々です。テレビやクルマが欲しいとか、おいしいものを食べたいとか、普通の望みを持って日々暮らしていたはずです。
日本、郷土、会社、家族のためと信じて、普通の人々が、当時の法律を守りながら国策に従い、進めてきた仕事が、ある日「罪」として裁かれた。それが四日市訴訟でした。


言い方を変えると、普通の人々が普通に生きていても加害者になってしまうこともある、現代の経済活動の陥穽を、はっきり目に見える形で示した、とも言えるでしょう。


原子力発電所の事故が今も進行中の国に住む人間として、これを「もう済んだこと」「過去の話」とは思えません。
今は、政治と行政だけでなく普通の人々も「何をしてはならないか」を「生きるための環境」に即して考えないと、経済活動によって「食べていくこと」もできなくなる、瀬戸際の時代ですから。


【参考】映画『青空どろぼう』公式サイト。2010年東海テレビ制作・著作・配給。








本書に登場する「四日市」「塩浜」「磯津」「午起」などの地名や企業名、人名などは、私と私の身内の人生のさまざまな事柄に分かちがたく結びついています。三重県出身だからというわけではなく、私や一族の誰かがぜんそく患者なわけでもありませんが。
おばさんの事情なんてほんとどうでもいいわねえ、と思いながらも、そんなこんなで感情は大きく揺れるわけです。悲しかったり、茫洋としたり。
これもまた、普通の人が普通に生きていれば、普通にあることですけれど。

*1:p.152。太文字にしたのは私です。

*2:何人もの個人の話をなるべくそのまま伝えよう、雰囲気を伝えようとしたのか、一冊の本全体としてはまとまりに欠けるところがあります。

*3:著者が「常民」と呼ぶのは「普通の人々」という意味だと思います。