要約できない、してはいけない──『菜の花の海辺から』・終章

5月10日21日の日記に書いた 『菜の花の海辺から』(上・下)ですが、下巻の最後にある「終章」について少し。


「終章・そしてなにが残ったか──原告患者の語る四日市の戦後史──」には、四日市ぜんそく裁判の原告の一人、野田之一氏の語った言葉が、おそらくほとんど修正なしの形で掲載されています。
分量としては20ページほどですが、この部分を切り離して一冊としてもいいんじゃないかと思うほど、濃く、深い内容です。


私には懐かしい伊勢弁で語られる野田氏の言葉は、正直、要約不可能です。無理に要約しても、部分を取り出しても、意味がない。
文字とて肉声に比べれば、ありのままではないのですが。


本書の著者・平野孝氏は、全編にわたって、人々が語った言葉にあまり修正を加えず、生に近い形で提示しています。
本としてややまとまりに欠けるその形をとった意図(というより「思い」)が、最後にきて野田氏の言葉を読んで、腑に落ちました。


世の中には、要約してはいけないもの、ダイジェストでは決してわからないものがあります。


要約される人生、値踏みされる命に、私は慣れすぎている。雑に生きている。
「終章」を読んで、そう思いました。




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