社会的正義、行政の恥──『菜の花の海辺から』(下)

5月10日の日記で書いた『菜の花の海辺から〈上巻〉評伝・田中覚』に続き、四日市において公害がどのように規制されていったか、吉田克己教授らと行政の現場の悪戦苦闘を描いた下巻から引用。

彼[=当時の三重大学医学部教授・吉田克己氏]をつき動かしたものは、社会的正義に対する学者としての良心、責任感、知に対する意欲、そして、若さである。

田中覚[=当時の三重県知事]は、昭和四七年七月二六日、四日市公害判決の二日後のノートに次のように記している。
「本来この問題は、政治行政の場で処理すべき筋合いのものであり、裁判に持ち込まれたことは、率直にいって行政の恥であってこれを機会にできる限り行政の場において改善いたしたい」

特に政治や行政の担い手たちは、自らの力ではなくて、無力さを肝に銘じておくべきかもしれない。


それぞれ、現代の「有識者(学者)」「政治家」「官僚」の方々に、ぜひ読んでいただきたい。


上巻の主題・四日市ぜんそく裁判はコンビナートによる大気汚染を争ったものでしたが、当時の四日市の公害は大気だけでなく、水の汚染問題もありました。下巻ではその問題も取り上げられています。


中でもひどかったのが石原産業による伊勢湾への廃酸投棄問題。「コンクリートが溶けるほどの」強酸を垂れ流し、周辺は死の海になっていました。
その緊急対策として考え出されたのが、「黒潮以南への投棄」でした。
今から見ると嘘みたいですが、当時はそれを取り締まる法律がなかった上に、伊勢湾の汚染を食い止めるにはそれしかないほど、切羽詰まった状況だったのです。


ところが「黒潮以南への投棄」は長続きせず、2〜3回で終了。費用と手間がかかりすぎるという問題もありましたが、何よりも、他地方の漁民からの批判に、地元漁民が耐えられなかったことが大きかったそうです。

自分の漁場を守れなかった漁民は、ほかの漁場を荒らすべきでない。厳しいが、当然といえば当然すぎるほどの漁師仲間の仁義である。


これと相似形の問題は、地方と地方、国と国の間でも起きているように思います。
書き換えればこうです。

自分の国を守れなかった国民は、ほかの国を荒らすべきではない。厳しいが、当然といえば当然すぎるほどの地球人同士の仁義である。


ただし、仁義の問題だけではないと思います。
線を引こうが壁を立てようが境目などない「環境」を考えるとき、今いる場所を食いつぶして次へ移るだけのやり方は非合理的です。
伊勢湾がだめなら外海、自県がだめなら他県、日本がだめなら外国、地球がだめなら他の星、なんて、どう考えても先がないですもんね。いわゆる「持続可能」ということでしょうか。


本書をきっかけに知り、そういえばこれどうしよう、と思ったことが一つ。


それは酸化チタン。石原産業はそのシェア国内1位。
上記の「廃酸」は酸化チタン製造工程で出る副産物だそうです(当時は廃液のほか酸化チタンの粉塵も問題になっていました)。
また、ここでは詳しく書きませんが、現在進行形で問題となっている「フェロシルト*1」も、上記の「廃酸」を中和してできるものなんですと。
廃酸をそのまま海に流すことはなくなったものの、どうにも処分しにくいものをつくり、よその県にまで広げてしまったわけです。


酸化チタンは日焼け止めやファンデなど、化粧品の材料にもなるものです。
私もミネラルファンデなど自家配合するために原料の「酸化チタン」を買ってましたが、あまり使いたくなくなりました。
酸化チタンについては、ほかにナノ粒子の問題もあり、いろいろ、いろいろ、考え中です。