「ああ、この身はわたしじゃない」

確か6月末あたりから読み始めた『市民社会とは何か』を、まだ読んでいます。あと少し。


しかし近頃、本を読むたびに感じることは、自分の教養の土台が泣けるほど貧弱である、ということ。いや、教養なんか、ほぼなかったんだな。幻想だった。
この本一冊を読むために、途中でほかの本を読まなくてはならなくなったりするのは、そのせいですわね。


ところで。
震災後5ヶ月、責任も地位も教養もある、立派な大人たちが、「ああ、この身はわたしじゃない」といった思いに苛立ってるように見えます。


「ああ、この身はわたしじゃない」は、吉行淳之介の『童謡』*1の中に出てくるフレーズ。
病気静養の前後で変化してしまった自分と世界のありようを、少年の視点で描いた短編です。


大きな災害を契機に変化した、自分と世界のありよう。それを扱いかねる大人たちが、この少年とダブって見えます。
「これが、私たちの望んだ日本なのか」
「こんな政治家しかいないのか」
「なぜ、なかなか問題が解決しないのか」


「ああ、この身(国)はわたし(日本)じゃない」


しかし、ここにあるこの国は、そこに住む人々が生きてきた結果、今ここにあるわけです。
少しはあるかと思っていた私の教養が、まったくダメダメだと思い知ったように、日本の大人たちも、どこかで自分のダメダメさを思い知ってしまい、ショックを受けているのでしょうか。


それなりに最良の選択をしてきたはずだ。
なのに、なんでこの国はいま、こんなに情けないんだ。


市民社会とは何か』のような本を読むと、少しそのヒントのニオイぐらいは嗅げる気がします。
たくさんの「良き物」を生み出す一方で、たくさんの「善きもの」を踏みつぶしてきたのは、自分自身であることがわかる。


たぶん、日をおいて、何度か読むと思います。