『サマータイム・ブルース』

あれは10年前(嘘)、高校生になって初めての夏休み、友だちと二人で日本海側沿岸の町に遊びに行ってました。
詳しいことは省略しますが、ある日、無人島へ泳ぎに行きました。船で渡って、島の周りのきれいな浅い海で、日焼けも恐れず、クタクタになるまではしゃぎまわりました。
そして帰り道、船から桟橋に降り立ったとき、正面に、見たことのない建物が見えました。行きにも見えたんだろうけど、気づかなかった。


「ああ原発だ。・・・音がしないんだ」


そう思った直後、気を失いました。
いや、遊び疲れで貧血を起こしただけですけどね。
この原発RCサクセションサマータイム・ブルース」でも歌われてます(『カバーズ』収録。(歌詞→ goo音楽 動画→YouTube


科学的根拠など、何もない話です。
生まれて初めて、音もない振動もない原発を見た瞬間に、気絶しながら、15、6の少女の直感として強烈に焼き付いたのは、漠然とした恐怖でした。
以来、原発が嫌いです。*1


それからずっと後、私の故郷に原発をつくる計画を知りました。故郷には母がおりましたし、それなりに愛している美しい土地ですから、そんなものは作ってほしくありません。
しかし、故郷とはいえ住民票はもう東京にあり、反対の意思を示す方法が思い浮かばなかったのです。


そこで、建設予定地の自治体の長に宛てて、手紙を書きました。メールなどなかった時代のことです。便せんに手書きで「今どんな利益があろうと、その美しい土地に原発をつくったら、子々孫々に禍根を残す。やめてくれ」みたいなことを、馬鹿みたいに切々と書きました。
その後、たぶん私の手紙などまったく関係のないところで、たまたま賢明な知事さんが就任され、計画は中止となりました。


そしてまた長い時間が流れ、先日3月16日、今度は御前崎市にメールを出しました。
福島であんな悲しい事故が起きたからです。もっと先に何かしておけばよかったと、悔しくてなりません。


メールの内容は要するに「浜岡原発を止めてくれ」ということです。自治体の長から中部電力へ、浜岡原発を止める要請をしてくれということ。
本当は全国いっせいに止めてほしいのだけれども、いま一番可能性の高いのは3月15日に強い地震が来た静岡の原発だろうと思ったから、浜岡原発御前崎市にしました。*2


昔手紙を書いたときは、まだ「故郷だから」と言えば、少しは反対する権利もありそうに思いましたが、今度の御前崎市は縁もゆかりもない土地。また、個人がそんなことメールしても、巨大企業をユーザーに抱える中部電力のやることが止まるわけがない。馬鹿だな、本当に馬鹿だなと思いながらのメールです。
御前崎市の担当の方、お忙しいのに申し訳ありません。


けれど、昨日からこんな報道も出てきました。

保安院浜岡原発の緊急停止「考えなければならないのは確か」
経済産業省原子力安全・保安院は18日午後5時50分過ぎの記者会見で、福島第1原子力発電所の事故に関連し、同様の巨大地震にあう可能性がある静岡県浜岡原子力発電所について「重要な課題として(緊急停止を)考えなければならないのは確か」との見解を示した。(後略)

日本経済新聞2011年3月18日)

浜岡原発地元に広がる不信 中電が御前崎住民に説明会
東京電力福島第一原発の事故を受け中部電力は18日、浜岡原発の地元、御前崎市の住民代表らに浜岡原発津波対策などを説明し、安全性を強調した。原発の「安全神話」が崩壊し、住民からは「浜岡は本当に大丈夫なのか」「想定外では許されない」といった不安の声が相次いだ。
(中略)
町内会をまとめる大石昇嗣会長は「信じていた原発行政は破綻した。地元は原発とどう向き合っていいのか分からない」と話した。

中日新聞2011年3月19日)


今回もやはり、私の手紙(メール)などまったく関係のないところで、事態は動き出しているようにも思えます。


あそこの原発は東京に押しつけられたものだとか、地元は補助金いっぱいもらってるんだろうとか、ののしりあいしても意味のないこと。日本人みんなが選択してきた結果、こうなった現在です。


現実に原発が安全だろうと何だろうと関係ないのです。国(世界?)全体にこれだけの不安と恐怖を与えただけでも十分な罪です。原発はもうだめです。

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ 誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース


ああまた長文だ。

*1:高校卒業してから10年(嘘)、それなりに長い時間を生きて、原発について知る努力はしてきました。「漠然とした恐怖」だけで嫌い続けてきたわけではありません。

*2:浜岡をとにかく止めてほしいのは「不安」を軽減するために、です。いくら当局が「科学的で」「冷静な」説明をしても、たくさんの人々の不安はぬぐえない。