川漁師 神々しき奥義




日本の川は、テレビなどでしょっちゅう美しい映像を映すような有名な「清流」でも、かなり危機的な状況だと思ってます。


まだ大丈夫だろうと高をくくっていたぶっていると、自然というのは、あっという間に壊れ去るものかもしれないですよ。


川に寄り添い、川の恵みを得て生業としている漁師さんたちの言葉を読むと、申し訳なくていたたまれなくなります。「見過ごす罪」というのもあると思うからです。


川という現場にいる方々の、実感に基づく声を少しだけ引用しますね。

 死んどうよ。半分病気にかかっとうよ。池田ダムが吉野川をあかんようにしてしもうたんじゃ。あれができてから、カミから土砂が流れてこんようになったものね。
(中略)
 そうそう、池田ダムをつくるときにね、例の学識経験者いうのがおるでしょう、かれらは「大丈夫」いうとったんですよ。(中略)筑後川利根川の大堰も長良川の河口堰のときもそうやったが、連中がいうたことでひとつでも当たってるコトありますか。ぜーんぶまちごうてる。アユは以前と変わらず遡ってくる、シジミは死なん、安全でうまい水を供給する、汽水域の問題、ヘドロ(シルト)の堆積、水質、なにひとつ当たっとらん。

(第一章「シジミ掻き漁」徳島県吉野川/矢田輝彦氏)

 郡上の川には“三白公害”いう言葉があるんさ。ダイコンの白、雪の白、コンクリートの白や。上流にできた大規模なダイコン畑からは農薬が流れ込み、川を削ってのスキー場開発で水量が減り、コンクリートの護岸・堰堤(えんてい)工事で川はズタズタになってしもうた。

(第五章「アマゴの郡上釣り」岐阜県吉田川/恩田俊雄氏)