『奇蹟』中上健次


たまたま古書店で見つけた『奇蹟』を、このあいだから読み始めました。再読です。
某週刊誌に連載中は小学生になったばかりでしたから(嘘)、ずいぶんと久しぶりです。
冒頭近く、産婆のオリュウノオバが、タイチを取り上げる場面。

…女の腹を蹴って生まれてくる生命そのものに違いはない。オリュウノオバはいつも女の腹から顔を出す子に言った。何でもよい。どんな形でもよい。どんなに異常であっても、生命がある限り、この世で出くわす最初の者として待ち受け、抱き留めてやる。仏が生命をつくり出す無明(むみょう)にいて、人を別けへだてし、人に因果を背負わせる悪さをしても、オリュウノオバは生命につかえる産婆として、愉楽に満ちたこの世のとば口にいてやる。


生命は生命である限り断固としてこの世へ生まれてくるものであり、その値打ちは人の裁量など超越したもの。
産婆としてのオリュウノオバの覚悟を語る形を取りつつ、問答無用で生き始める生命の本質を、揺るぎなく表現していると思います。
この後には、こんな一文も。

この世の入口に別けへだてがないようにこの世の出口にも別けへだてがない。


生きるも死ぬも、生命のまま。


同時並行で読まねばならぬ本もありますが、この物語はゆっくり読みたいと思います。