よそもの嫌い

昨夜、たぶんNHKで『イージー・ライダー』を紹介する番組をやっていて、その中で高橋源一郎氏が、アメリカ南部の、よそもの(外部からやってきた知識人、社会改革のムーブメントなどの異質なもの)に対する憎悪の話をしてました。
「外からやってきて、現在の秩序をかき乱す奴ら」に対する憎悪によって、キャプテン・アメリカ、ビリー、弁護士ハンセンは殺されたのだと。


それを聞いて、ああそうねと思いました。「南部」を「地方」に変えて日本へ持ってきても、ありがちねと。
よそから来たやつに地元の何がわかる。そんな感情の根強さは、たぶんあなたの予想をはるかに超えてます(あなたって誰)。
逆に、外から来た人の地元感情(事情ではなく感情)への無理解も。


都会人が地方から来た人に反感や偏見持つこともままあるので、地方の人が都会人に反感持つ、だけじゃないですね。
あくまでも異質なもの、stranger、よそもの。


人は「よそもの」が嫌いです。空間的な意味だけでなく、趣味属性とか、いろいろな意味で。
白人−有色人種、男性−女性、富者−貧者、大卒−高卒、理系−文系……。*1
あるいは時間軸をとれば老人−若者、とかも。


論理的に相手が間違ってるから言ってるんだ、と本人が思っていても、実は単なる反感で言ってるだけなんてこと、世の中にはたくさんあります。


この話、考え始めると果てしないのでここまで。

*1:近頃よく聞く「クラスタ」なんて言葉は、仲間意識を持つにはいいかもしれないけど、「それ以外」を強力に意識した時にどうなるかみたいな危うさを感じる、なんてのは考えすぎなんだろうな。