東北関東大震災以後・東京

翌日も、自宅周辺は住民の年齢層が高いせいか、あまり慌ただしい感じはなく、商店も落ち着いてました。2日後ぐらいからスーパーで行列するようになり、米や牛乳、ティッシュなどが消えていきました。
今日あたりは、なぜか納豆やヨーグルトが消えたままですが、あとは落ち着いてきました。普段と違うのは、スーパーで、初めて来たらしい若いお母さんグループを見かけたことぐらいかな。*1


うちは緊急に必要なものもなかったので、何を買いに走るわけでなく、ずっと普段どおりの生活ができています。*2
そもそも東京はライフラインが止まってないんだから、そんなに困らないはず、だと思います。


千代田区は官庁があるせいか、計画停電区域から外れています。また、自宅も今のところ停電したことがありません。なんだか申し訳ないです(節電はしてますから勘弁してください。暖房止めて寒いけど重ね着で乗り切り)。
街は千代田区でも新宿区でも節電の影響で薄暗く、飲食店などはお客が減って大変そうです。少しでも協力できるように、お弁当を持って行くのをやめて、お店で買ったり、外食したりしています。


鉄道は、混雑してる様子をテレビで派手に見せるもんだから、心配した母が電話をかけてきました。しかし、幸い私の乗る路線では、ひどい混雑を経験したことはありません。


最後に放射性物質うんぬんについて。
小さなお子さんがいると、かなり心配なんだろうと思います。実質西の方や海外へ疎開しているお宅もあるようです。
個人の判断ですから、別にいいんじゃないかと思います。
近所の小学生は原発事故以後、防災ずきん着用で登校しています。余震対策ではなく、放射性物質に対して肌の露出を避けるためとも聞きました(公園で遊ぶときはいつもどおりで、あまり意味もなさそうなんですが)。


私自身は、疎開なんて思いつきもしませんでした。だって避難命令も出てないしこれといった不便はないし。
うちのだんさんは「放射能はヤダ。自分の責任じゃなくて病気になるのはヤダヤダ」と言ってます。けどまあ、老い先短いおじさんおばさんですし、そう心配はしてません。
原発が小さい子どもたち、その親御さんたち、たくさんの人たち、世界の人たちに強い不安を与えている事実は、絶対に許せないけれど。


ただ、私、実は恐がりです。
3月11日、最初の揺れのときは、退路を確保しながらも、バラバラな方向に揺れるビル群を見て、立ってられなくてへたり込んでました。震度5強でこんなです。
揺れがおさまって、いろんな連絡をしたり、落ちたものの片付けをしながら、手が震えて震えて止まりませんでした。
いまだにエレベータに一人で乗ることができません。


それでも、無事に生きてるし、笑いあえる人もいるし、何の不便もない。このごろは、そんな感じで幸せです。


【追記1】仕事にはさまざま影響が出ています。それはまあ、別の話。
【追記2】これ書いた後、23区が計画停電から外されていることを知りました(荒川区、足立区は入ってる?)。準備は万端整えてあったのに。理由がわからないです。

*1:商品の置き場所を把握していない、そこのオリジナルポイントカードを持ってない、等々で判断。

*2:昨日だったかティッシュが切れて、花粉症のだんさんが「これしかなかった」と買ってきたのがクリネックスの高級ローションティッシュ。ふだんそんなの使わないから、1枚いくらなんだろうとドキドキケチケチ使っています。