いきだおれ

おとといの朝、道端で倒れてるおじいさんがいました。野宿者のようでした。
死にかけてるといけないからとお巡りさんに知らせ、見に行ってもらったものの、結局無事でした。
以来おまわりさんは、それとなく見に行ってくれてるみたいです。


朝、たくさんの人が通るところで、人が倒れてる。
傍らに置いてた空き缶に小銭を入れていく人はいたけど、声をかけたり、どこかへ知らせようとした人はいなかったようです。


交番まで走った私はまあ、都会の流儀からは外れてます。50mのところに交番があるのを忘れて、900mほど先の交番へ行ったのもお笑いです。
だからといって私はエライとか、見過ごした人々は冷たいとか、ほんっとに、さらさら、思いません。




数年前、友人が孤独死しました。40代の独身男性でした。




仕事上の友人Sさんはのんべで、いつもおどけて人を笑わせる、楽しい人でした。
よくみんなで飲みに行ったり、花見をしたりしました。
Sさんの勤め先は、ごく小さいけど、独自の技術を持つ会社。しかし時流に遅れがちで業績がふるわず、個人的にもいろいろなことが重なり、Sさんはかなりきつそうでした。


のんべが追い込まれると、酒にいっちゃうんですね。
Sさんは肝臓やら何やら、酒で心と体をボロボロにしていきました。


みんな心配して、気にしていたのです。みんなに愛される人でしたから。
「ここのところ具合が悪くて、会社休んでるらしいんだ」
と聞いて、かわるがわる電話もしました。
「近いうちにまともな食べ物持っていくから! ただし酒抜き!」なんて話もしました。


でもねえ、忙しかったんです。みんな、忙しかったんですよ。
人ごみがふっと途切れて、エアポケットみたいに無人になることってあるでしょう。そんな感じで、誰もがSさんを忘れた何日間があったんです。
Sさんがひっそり亡くなったのは、そんな何日間のうちでした。


確かに忙しかった。けど、結局、見殺しですよ。少なくとも自分の心の中では、明らかに見殺しです。
Sさんが弱っていく様子は、会わなくても、ありありと見えてた。




そんな私が、倒れてる人を見ながらただ通り過ぎる人たちを、責められましょうか。
かつて私がやったことと、同じことをしてるだけでしょう。


あれ以来、怖いんです。倒れてる人なんか見ると。
また見殺しにしてしまったらどうしようと、怖くてしようがない。
人間、死んだら帰ってきませんから。


「ひでぇなー。見捨てんなよー。おかげで死んじまったじゃねーかよー」
とか言いながら出てきてくれた方が、まだ気が楽です。