情報と効率?

先週末は飛騨高山のだんさんの実家へ顔を出すついでに、ちょこっと釣りしてきました。
最初に見た川は、だんさんはよく知っている川ですが、まあ、びっくりするぐらい人がいっぱいでした。川沿いの道に、名古屋ナンバーの車がみしみしと。高速道路が整備されたせいで、名古屋からの釣り人は木曽より高山の方が行きやすくなったのでは、というのがだんさんの見方です。


あまりに人が多いので、その川は避けて、近くの別の川へ行きました。ところがそこは、川沿いの林道に入ってから立ち入り禁止のゲートまでの6kmほどの間、源流釣りっぽい車1台しか見ませんでした。それも枝沢に入ったらしく、本流には一切人影なし。
なんでしょうこの偏り。


確かに、我々の入った川、あまり釣れませんでした。2時間で小さなイワナが各1尾だけです。最初に見た川はどうなのかわかりませんが、もしかしたら我々の入った川は、釣れないので有名なのでしょうか。
だんさんも初めて行く川でしたから、上流部はどうなのか、沢はどうなのか、まったく事情はわかりませんけれど。


その夜、だんさんが安曇野の友人に電話をかけて聞いたところでは、人がいっぱいだった川は、何かの雑誌で取り上げられたせいで人が多いんだろうということでした。
そうか、雑誌に出たのか。なるほど。



こういうこと、よくありますね。「だれそれが○○川で爆釣した」「大きいのが数釣れた」といった雑誌の記事なりネットの情報なりが出ると、そこに人が集中する。釣れるところへまっすぐ行った方が、様子のわからないところでウロウロするより、ずっと効率がいいと。
大多数であろう勤め人の場合、土日で効率のよい釣りをしたいと思うのが人情、らしいのですね。


けれど、この「人情」が、いまいちわかりません。
釣れれば楽しいのはもちろんですが、人が多くて釣れる川より、あまり釣れなくても、人が少なくて、川にいることを堪能できる方がいい。そして、できれば渓相が美しい方がいい。護岸や堰堤だらけの川で、放流された魚をたくさん釣っても、何か少し、悲しいのです。


結局、川に何を求めるかは人それぞれってことかな。効率的な釣りができたことに喜びを見出す人もいる、ということなんでしょうね。わかんないけど。